

元祖不良バンド ローリング・ストーンズ。
長髪、ドラッグ、不良ソングなど後のロック・バンドに多大な影響を与えた。
60年代は反権力の象徴であり、セールス的にはビートルズに劣るものの、
ビートルズと同等の存在感を示し、ライバルと言われた。
70年代に黄金期を迎え、80年代は一時分裂しそれぞれがソロを、
90年代と00年代は世界最大のバンドとして世界をツアーし、
現在も第一線で活躍し続けている。
後数年でデビュー50周年を迎えるロック界最大の大御所は
現在でも転がり続けている。
オリジナル・メンバー
ブライアン・ジョーンズ・・・ギター
ミック・ジャガー・・・ボーカル
キース・リチャーズ・・・ギター
ビル・ワイマン・・・ベース
チャーリー・ワッツ・・・ドラム
イアン・スチュアート(サポート)・・・キーボード
「ゴムなしが最高さ」
byブライアン・ジョーンズ
「俺は女王と並んで英国人の最高傑作だ」
byミック・ジャガー
「ブライアン、死んでくれてありがとう」
byキース・リチャーズ
ブライアン・ジョーンズはローリング・ストーンズの創設者であり、 リーダーである 。友人のジミ・ヘンドリックスとともに ロックンロールの不良ミュージック化を推し進めた。
1942年2月28日生まれ、グロスターシャーのチェルトナム出身。
ブライアンは比較的普通の家庭に育った。
17歳のころに14歳の少女を妊娠させ、学校を辞めさせられ、
家も追い出される。その後、東ドイツなどをヒッチ・ハイクで
旅し、ロンドンに移る。そこでさまざまなアルバイトをしながら
ギターの練習をした。
当時流行していたアメリカの音楽などに興味を持ち、
話がアメリカのことになると目の色を変えて
話した。
あるクラブで演奏していたときに ブライアンの弾くスライド・ギターに衝撃を受けたミックと キースによってバンドに誘われる。その後、自分がリーダー のバンド”ローリング・ストーンズ”を結成、バンド名はマディ・ウォーターズの 曲から取った。そしてミックとキースが加入する。 ミックとキースと住み始め、金が無くてもシャンプーを欠かさない ブライアンをミックとキースは”ミスター・シャンプー” と呼んでいた。
デビューするとたちまちスターとなり、
バンドのリーダーとして活躍するが、
"サティスファクション"あたりからしだいにミックとキースが
オリジナル曲を量産するようになり、グループでの立場を
逆転させられる。
この頃のブライアンの生活は1日にたばこを
40本以上、ドラッグの常用、アルコール、グルーピーとの乱交など
精神も体もボロボロであった。
恋人のアニタ・パレンバーグをキースにとられ、ミックとの関係も悪化し、69年6月に
ブライアンはローリング・ストーンズを脱退した。
そして、その1ヶ月後の1969年7月2日、ブライアン・ジョーンズは 27歳の若さで死去。
わかっているだけでもブライアンには9人の子供が確認されている。
そのほとんどがグルーピーとの子供だ。
ブライアンは暴君のイメージが強いが、
体が小さく、頭のキレル人間でもあった。
ローリング・ストーンズのフロントマン ミック・ジャガー。 ”時代を読む天才”と言われるほど頭のキレル人物。 読書家であり、実業家顔負けのビジネスの才能の持ち主。
1943年7月26日生まれ、ケント州ダートフォード(ミック曰く地味で
退屈な街)出身。中流階級の
家庭で育った。少年の頃の夢は実業家であり、”金と赤い車と女の子”
が欲しかった。
アメリカの音楽にも夢中であり、バディ・ホリー、
ボ・ディドリー、リトル・リチャードらのファンであった。
だがエルヴィスにはたいして惹かれなかった。
そして、
バンド”リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ”
を結成する。幼少の頃から知っている
キース・リチャーズと運命的な再会をし、キースがバンドに加入。
ロンドンのクラブでスライド・ギターを
弾いていたブライアン・ジョーンズにぶっ飛び、彼をリーダーとして
活動開始。
最後まで実業家になるかバンドでやっていくか迷うが、結局バンドを 選択し、大学を辞める。
デビュー後一気にスターとなり、若者の象徴的存在に。 ミックは中流階級出身だがデビュー当初は労働者階級の アクセントでしゃべっていた。
ローリング・ストーンズがビッグ・バンドになるとミックは キースとともにスキャンダルの的となる。 恋人マリアンヌ・フェイスフルとともにキースの家で逮捕され た”レッドランズの逮捕劇”、ドラッグ裁判、 リーダーのブライアンとの確執、 オルタモントの悲劇、 ニカラグア人のビアンカとの結婚など。
60年代後半から映画にも何度か出演し、80年代からはソロ活動も はじめる。 2003年にはナイトを受け取った。
死ぬまでロックンロールし続ける男キース・リチャーズ。 ジョー・ペリーは「辞書でロックンロールと引いたらそこにキースの 写真がある。それだけで十分さ。」と言っている。
1943年12月18日生まれ、ミックと同じくダートフォード出身。 母子家庭で育ち、チャック・ベリーに憧れ、学校では 一匹狼だった。そして、ミック・ジャガーと再会し、バンドに 加入。この頃のキースはニキビとギター、ペットの ネズミがトレード・マークだった。
当初はギターを弾くのみだったが、ローリング・ストーンズと してデビュー後、マネージャーのオールダムに無理やり部屋に 閉じ込められ、ミックとともに曲作りを行い、作曲能力が開花した。
スターとなってからはゴシップ誌の標的となり、ガソリンスタンド
で立ち小便をしたことで新聞の表紙を飾ったり、ミックと全裸の
マリアンヌ・フェイスフルとともに逮捕(レッドランズの逮捕劇)されたりと
話題の人物となった。
ブライアンの恋人
アニタ・パレンバーグを奪ったり、殴りあいのけんかをしたりと
リーダーのブライアンとはきわめて仲が悪かった。
ブライアン・ジョーンズの死後、ローリング・ストーンズは
黄金期に入るがキースの麻薬中毒は悪化し、禁断症状が出るようになる。
77年にカナダのトロントでアニタ・パレンバーグと共にヘロイン
所持で逮捕されるが、これ以降ドラッグを打ち切る。
この頃ロンドン・パンク勢に攻撃され、ミックは余裕をみせていたが
、キースは激怒しプレスを通じて攻撃し返していた。
80年代はバンド解散の危機となり、キースもソロ・デビューした。 その後、ミックとキースの確執が納まり、またローリング・ストーンズの 一員として世界を周り始める。
後に出てきたアーティストではAC/DC、エイミー・ワインハウス、 ノラ・ジョーンズのファンである。また、オアシスや アークティック・モンキーズのような英国の国民的バンドが 嫌いである。また、マーロン・ブランドのファンでもあり 息子にマーロンと名付けた。
03年のミックのナイト授与に激怒しプレスを通じて攻撃、 06年にヤシの木から落下しケガ人に。07年には海賊役で 映画に初出演するなど相変わらずの人生を送っている。
デビューへ
ブライアン・ジョーンズを中心にミック・ジャガーとキース・リチャーズ
、その後チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマンが加入し、メンバーだった
イアン・スチュアートはサポートとなり、
63年にデビューした。デビュー・シングルはチャック・ベリーの
カヴァー曲"カム・オン"だった。
デビュー・アルバム"イングランズ・ニューエスト・ヒット・メイカーズ"
をリリース。このアルバムが12週連続英1位を記録し一躍スターと
なった。アルバムの収録曲は12曲中10曲がカヴァーである。
64年
ローリング・ストーンズはアルバム"12×5"をリリース。
シングル"イッツ・オール・オーヴァー・ナウ"は全英1位を
獲得した。
65年
ローリング・ストーンズはアルバム"ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ"
をリリース。12曲中8曲がカヴァー曲となっている。
そして、同年に"サティスファクション"を収録した アルバム"アウト・オブ・アワー・ヘッズ"をリリース。 "サティスファクション"は世界に衝撃を与えた。 この曲は全米1位全英1位となり、史上初の不良ソングナンバー1ヒットと なった。ロックが誕生して以来、エルヴィスが不良じみた態度をとったり したが歌ってる内容は従来のポップ・ソングと変わらなかった。 黒人ロッカーが不良ソングを歌ってもトップ10に入らなかった。 つまり"サティスファクション"がチャートのトップに立つまでは 「頭にくるぜ、不満だぜ」といったような挑発的な 歌詞の曲がトップ1に立つことなど 考えられなかったのである。 キースが考えたリフ、ミックが若者の気持ちを代弁した 歌詞が組み合わさって完成したストーンズ初の大ヒット曲であり、 これからのストーンズの未来を決定づけた歌。 "サティスファクション"のヒットでアルバム "アウト・オブ・アワー・ヘッズ"が初の全米アルバム1位を 獲得した。
この年の末にはアルバム"ディッセンバーズ・チルドレン" もリリース。この頃からミックとキースがオリジナル曲を 量産していくことになり、ブライアンはドラッグを常用するようになる。
66年
ローリング・ストーンズはアルバム"アフターマス"と
ライヴ・アルバム"ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!"
をリリース。
67年
ローリング・ストーンズはアルバム"ビトゥイーン・ザ・バトンズ"
をリリース。このアルバムは全曲オリジナルとなった。
同年にアルバム"サタニック・マジェスティーズ"をリリース。
ビートルズの"サージェント・ペパーズ・・"を真似た作品と
なり、セールスも失敗となる。
この年、ミック、キース、ブライアンがドラッグの所持で
逮捕され、これ以降ストーンズにはドラッグのイメージが
付きまとうことになる。
68年
ローリング・ストーンズはアルバム"ベガーズ・バンケット"
をリリース。名曲"悪魔を憐れむ歌"と
"ストリート・ファイティング・マン"
を収録している傑作アルバム。"地の塩"も忘れてはいけない。トイレに落書きした
ジャケットも話題となった。「神様だってやってるぜ」
「ジョンはヨーコを愛してる」などの落書きとなっている。
69年
ローリング・ストーンズはアルバム"レット・イット・ブリード"
をリリース。このアルバムはストーンズ屈指の傑作アルバムであり、
1曲目の"ギミー・シェルター"など現在でもライヴで歌われている
曲が多い。
この年の6月にブライアンがストーンズを脱退。
後釜にミック・テイラーが加入。
そして、7月3日にブライアンは自宅で
死去。
ストーンズは7月5日にブライアン追悼コンサートをハイドパークで
行った。
12月にはカリフォルニア州オルタモントで行われたライヴで
ヘルズ・エンジェルズの
メンバーが黒人男性を殺害(オルタモントの悲劇)。
後にミックがヘルズ・エンジェルズを非難したため、
ミックは彼らに命を狙われることになる。
70年
ローリング・ストーンズは
ライヴ・アルバム"ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト"
をリリース。

71年
ローリング・ストーンズはアルバム"スティッキー・フィンガーズ"
をリリース。自らローリング・ストーンズ・レーベルを立ち上げて
の第1弾。名曲"ブラウン・シュガー"から始まるこのアルバムは
ストーンズの代表作の1つ。
72年
ローリング・ストーンズはアルバム"メイン・ストリートのならず者"
をリリース。ストーンズの黄金期を象徴するアルバム。
"ロックス・オフ"や"ダイスをころがせ"、キースの"ハッピー"など
を収録。ロバート・フランクによるジャケットも最高。
この頃のミックとキースはまさにゴシップまみれで、ダブロイド誌の
格好の的だった。
73年
ローリング・ストーンズはアルバム"山羊の頭のスープ"を
リリース。名曲"悲しみのアンジー"を収録した影の名盤。
74年
ローリング・ストーンズはアルバム"イッツ・オンリー・ロックンロール"
をリリース。「たかがロックンロール、だけど俺はそれが大好きなのさ」
と自らのルーツをたどるアルバム。
このアルバム後、
ミック・テイラーが脱退。
75年にロン・ウッドが加入。
76年
ローリング・ストーンズはアルバム"ブラック・アンド・ブルー"
をリリース。ロン・ウッド加入作。レゲエのカヴァー"チェリー・
オー・ベイビー"、面白い"クレイジー・ママ"などを収録している。
77年
ローリング・ストーンズはライヴ・アルバム
"ラヴ・ユー・ライヴ"をリリース。
ミック・ジャガーVSジョニー・ロットン
セックス・ピストルズのジョニー・ロットンは誰よりもミック
を攻撃した。
「ミック・ジャガーは性根の腐った大げさ野郎で、役立たずの
老いぼれだぜ。」「俺達はストーンズみたいになりたくない」
byロットン
「ジョニー・ロットンが何を言おうが、それは俺を愛しているからさ。
なぜって?俺は最高の男だからね。」「はいはい、それだけ俺が
いい男だってこと。」
byミック
78年
ローリング・ストーンズはアルバム"女たち"をリリース。
ロンドン・パンクに蹴りを入れたストーンズの一撃。
ディスコ・ビートに合わせた"ミス・ユー"など
新たなストーンズも見られる。この頃はキースの
ドラッグ裁判も話題となっていた。
80年代前半のローリング・ストーンズは ニュー・ウェイヴのストーンズ流アルバム"エモーショナル・レスキュー" や80年代の傑作アルバム"刺青の男"などがヒットした。 特に"刺青の男"収録の"スタート・ミー・アップ"が大ヒットを 記録。
ツアーを行うが、85年12月にストーンズを影で支え続けたイアン・スチュアート が心臓発作で亡くなる。
86年から各メンバーがソロ活動を始め、ミックとキースがプレスを 通してお互いを批判するようになる。 バンドの解散が噂されるようになっていた89年に、ロックの殿堂入り となる。 そして、3年ぶりにオリジナル・アルバムを発表し、世界ツアーへ 発進。ストーンズ最大の危機だったが見事確執から復活した。
80年代のローリング・ストーンズのアルバム
"エモーショナル・レスキュー"
"刺青の男"
"スティル・ライフ"
"アンダーカヴァー"
"ダーティ・ワーク"
"スティール・ホイールズ"
90年代から00年代のローリング・ストーンズは巨大な世界ツアーを 定期的に行う大御所モンスター・バンドとなる。
90年には日本に初来日し東京ドームで圧巻のライヴをした。 正直日本ではビートルズとストーンズの知名度の差がありすぎる。
93年にビル・ワイマンが脱退してしまうが、 97年には"ブリッジズ・トゥ・バビロン"をリリースし、 まずまずのヒットを記録した。
アルゼンチンやブラジルでも巨大なライヴをし、
デビュー後数十年かけて世界を征服した。
大海賊”ローリング・ストーンズ”がどこまで進みつづけるのか
これからも注目していきたい。
ローリング・ストーンズの90年代、00年代のアルバム
"フラッシュポイント"
"ヴードゥー・ラウンジ"
"ストリップト"
"ブリッジズ・トゥ・バビロン"
"ノー・セキュリティ"
"ライヴ・リミックス"
"ア・ビガー・バン"